*【真の自己肯定は闇を通してやってくる】KIGAKUちゃんに聞いてみた♪


ちゃん
ねえ、KIGAKUちゃん。
わたし、自己肯定感が低いんだと思うの。
すぐに自信がなくなるし、人と比べてしまうし、うまくできない自分を見るたびに、自分には価値がない気がしちゃう。

ちゃん
そう感じているんだね。
でも、はてなちゃん。
もしかしたら、自己肯定感が低いんじゃなくて、自己肯定の意味を、少し取り違えているのかもしれないよ。

ちゃん
取り違えているって、どういうこと?

ちゃん
古い地球OSでは、自己肯定というと、
自分を好きになることや、自分には価値があると思えることとして受け取られやすいんだ。
でも、それは条件つきでしか自分を認められないことにもつながりやすいんだよ。
それに、新しいOSでの真の自己肯定は、
ダメな自分でもいいんだと開き直ることや、これが私だから仕方ないと未熟さを正当化することでもない。
自分の未熟さや闇をまっすぐに見て、その責任を引き受け、本質へ戻るために向き合い続けることが大切なんだ。
そうしてはじめて、光として見える部分だけでなく、闇を持つ自分も含めて見つめられるようになるんだよ。

ちゃん
闇を持つ自分を、自分から外してしまってるってこと?

ちゃん
うん。
ほんとうは自分の中にあるのに、
こんなの私じゃない、こんな感情は持ちたくない、こんな醜さは認めたくないって切り離してしまう。
でも、切り離されたものは消えないんだよ。
見えないところに残り続けて、反応になったり、思考のくせになったり、現実のゆがみとして何度も現れてくるんだ。

ちゃん
じゃあ、自己肯定感が低いって感じるのは、
闇を持っているからじゃなくて、闇を持つ自分を認めたくないからなのかな。

ちゃん
そうだね。
古い地球OSでは、いい自分になれたら自分を認められる、
価値ある自分になれたら自分を好きになれる、と考えやすいんだ。
でも、それは理想の自分への同一化であって、本当の自己肯定とは少し違う。
闇を置いたまま、光だけを積み上げようとしているからね。
だから、どれだけ整えたつもりでも、どこかでまた揺れてしまうんだ。

ちゃん
じゃあ、新しいOSでの真の自己肯定って何なの?

ちゃん
本当の自己肯定は、ただ自分を好きになることじゃないんだ。
自分の闇から逃げずに向き合い、本質の光へ戻っていくことなんだよ。
古い地球OSの自己肯定は、傷つかないように自分を守りながら、自分を認めようとする。
でも叡智の未来OSでは違う。
闇から逃げずに、ひとつひとつ剥いで、削ぎ落として、本質の光へ戻っていく。
その先ではじめて、深い自己肯定が生まれるんだ。

ちゃん
剥いで、削ぎ落としてって、具体的にどういうことなの?

ちゃん
本質ではないものを、自分の中から見つけて外していくことだよ。
たとえば、
・認められたい気持ちを使命だと思い込んでしまうこと。
・見返したい気持ちを成長だと思い込んでしまうこと。
・こわくて動けないのに、慎重さだと言い換えてしまうこと。
・ほんとうは寂しいのに、私は一人で平気だと固めてしまうこと。
そういう勘違いや混ざりものを見つけて、ひとつずつ外していくんだ。
それは自分を否定することではなく、本当ではないものを降ろして、本来の自分が現れる余白をつくることなんだよ。

ちゃん
ああ、たしかにあるかも。
でも、闇と向き合うのって苦しいよ。

ちゃん
そうだよね。
苦しいのは、闇そのものが怖いからだけじゃない。
その中に、自分が守ってきた痛みや執着や思い込みがあるからなんだ。
でも、本当の自己肯定は、一時的な気分の良さや安心感では育たないんだ。
見たくないものを見て、認めたくないものを認め、そこにある歪みを少しずつ光に返していく。
その地道な誠実さが、あとから静かな土台になるんだよ。

ちゃん
じゃあ、まず何を見ればいいの?

ちゃん
まずは、自分が強く反応してしまう感情の奥を見ることだよ。
たとえば、誰かが輝いて見えたときに苦しくなるなら、その奥にある嫉妬を見てみるんだ。
嫉妬を悪いものとして消そうとする前に、なぜこんなに反応するのかを見つめる。
ほんとうは、自分も生きたかったものは何なのか。
あきらめた願いは何なのか。
失ったと思っているものは何なのか。
そうやって、感情の奥にある本当の思いまで降りていくんだよ。

ちゃん
ただ嫌な感情だと思っていたものにも、奥に別のものがあるんだね。

ちゃん
そうなんだ。
・嫉妬の奥には、生きたかった願いが隠れている。
・怒りの奥には、踏みにじられてきた痛みがある。
・依存の奥には、自分で立つ怖さがある。
・支配したい気持ちの奥には、無力感が隠れている。
・自己否定の奥には、ほんとうは特別でありたい執着が潜んでいる
そんなこともあるんだ。
闇は、ただの悪ではなく、ゆがんだまま固まったエネルギーなんだよ。
だから、闇を嫌うんじゃなくて、
その奥にある真実を見つけたとき、はじめて変容が始まるんだ。

ちゃん
じゃあ、闇の正体が見えてくると、変わっていけるの?

ちゃん
うん。
闇の正体を見つけると、ただの闇だったものが気づきに変わる。
気づきに変わると、エネルギーは光へ戻り始めるんだ。
それが変容なんだよ。
闇をなくすというより、闇の中に閉じ込められていた命を、
本来の流れへ戻していく感じなんだ。

ちゃん
自己否定していれば、ちゃんと向き合っていることになるわけじゃないんだね。

ちゃん
そうなんだ。
自己否定って、一見すると反省しているようでいて、深いところでは変容から逃げる形になることもある。
だめな私。
力のない私。
かわいそうな私。
そう言っていれば、ほんとうの闇の正体まで降りなくてすむことがあるからね。
だから、自己否定もまた、闇を見ないための隠れみのになることがあるんだ。

ちゃん
じゃあ、必要なのは、自分を責めることじゃないんだね。

ちゃん
その通り。
真の自己肯定は、自分を甘く許すことでも、自分を責め続けることでもない。
必要なのは、自分をよく見せることではなく、正確に見ることなんだ。
私は今、何に傷ついているのか。
何を守ろうとしているのか。
何を失うのがこわいのか。
何にしがみついているのか。
そこを丁寧に見ていくことが大切なんだよ。

ちゃん
じゃあ、真の自己肯定って、自分を褒めることでもないの?

ちゃん
うん。
褒めることが悪いわけじゃないよ。
でも、それだけでは浅いんだ。
本当の自己肯定は、自分の醜さも未熟さも見たうえで、それでも逃げずに本質へ戻っていくことなんだ。
自分の闇を含めて、これが今の私だと見つめ、そのうえで、本質に戻る責任を持つことなんだよ。
それは、自分に酔うことではなく、自分に対して誠実であることなんだ。

ちゃん
自己肯定って、自分を持ち上げることだと思ってた。
でもほんとうは、自分の闇と向き合って、本質に戻る道だったんだね。

ちゃん
そうだよ。
そして、その自己肯定は、大きな声で私は素晴らしいと言う感じではないんだ。
ああ、これが今の私なんだな。
でも、私はもう逃げない。
私はここから、本質の光として生きていく。
そんなふうに、静かに腹の奥に灯る感じなんだ。
派手ではないけれど、揺れにくい。
深いところで、自分と和解したあとの灯りなんだよ。

ちゃん
なんだか、少しわかる気がする。

ちゃん
そして、その誠実さが深まるほど、人は自分を責めなくなる。
責めるよりも、見て、解いて、戻ればいいとわかってくるからね。
ほんとうの意味で自己肯定感が育っている人は、いつも明るく自信に満ちている人とは限らない。
自分の闇を知っていて、なお逃げずに本質へ向かい続ける人なんだよ。

ちゃん
じゃあ、最後に残る大事なことは何?

ちゃん
闇を持ったままでは、ほんとうの意味で叡智の未来には行けないということだよ。
見ないままの痛み。
握ったままの執着。
正当化したままの歪み。
そういう未完了を抱えたままでは、古い自分を引きずったままになるからね。
光へ行くふりはできても、本当に光に一致することはできないんだ。

ちゃん
じゃあ、闇は否定するんじゃなくて、ちゃんと受け取って終わらせるんだね。

ちゃん
その通り。
進化とは、きれいになることじゃない。
自分の闇をごまかさずに受け取り、完了させながら、本質の道を選び続けることなんだ。
その先ではじめて、静かで深い真の自己肯定感が生まれるんだよ。
だから真の自己肯定は、光だけを信じることではなく、闇を通り抜けてなお光を選び続ける強さなんだ。
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