*【動画】『京セラフィロソフィー』に学ぶ意識進化

京セラフィロソフィー

テクノロジー・コーチング100日コース担当のかまたです。

この記事では、『京セラフィロソフィー』に学ぶ意識進化についてお届けします。

稲盛和夫さんについて

先日、稲盛和夫さんが九十歳でお亡くなりになられたと知りました。

京都で町工場のような形で始まった京セラを世界的な企業に育て上げた手腕だけではなく、独自の経営哲学を「京セラフィロソフィー」としてまとめられ、盛和塾にてボランティアで多数の経営者の指導にあたられました。

京セラの社名は京都+セラミックからきているように、セラミックを制作する会社でしたが、稲盛さんはそれだけでなく「日本の電話料金は高すぎる」と第二電電(KDDI)として電話業界に新規参入。

その頃は、巨大NTT(旧電電公社)に立ち向かうなどドンキホーテだとして、どの経営者も前に踏み出せなかったといいます。
その後も、携帯電話の電波割り当てがあると聞き、文字通り役員会を押し切って携帯電話にも参入。現在のAUにつながります。

そして、近年では日本航空(JAL)の経営危機に際して、無償でその再建の指揮をとられ、短期間で業績を回復させたのが記憶に新しいところです。

ただ、この稲盛さんの経営の真髄は、すべて『京セラフィロソフィー』に基づいてされたものだといいます。
つまり、原理原則があり、それを徹底することで、どんな異業種でも経営上の成果をだされたということになります。

もちろん、アメーバー経営も有名ですが、ここでは、『京セラフィロソフィー』を振り返りながら、意識進化との共通点を考えていきたいと思います。

人の種類は三種類

稲盛さんは、人には自燃性の人、可燃性の人、不燃性の人の三種類があると説きました。

自燃性の人は自ら燃え上がる人、可燃性の人は状況やリーダーが正しく導けば燃え上がる可能性のある人、不燃性の人とはどんな状況や環境でも燃え上がることがない人…というイメージでしょうか。

もちろん、自燃性の人になることが推奨されていますが、稲盛さんでさえ、なかなかそのような人材が見つからないと嘆いておられたのが印象的でした。

組織においては、よく2:6:2の法則が有名ですよね。
ただ、この稲盛さんのおっしゃる自燃性、可燃性、不燃性のほうが、マインドや仕事に対する姿勢、志のような精神面まで含まれている感じがします。私たちの組織の在り方、仕事への取り組み方への指針としてとても役立つと思います。

「動機善なりや、私心なかりしか」


稲盛さんは、祖業のセラミックの分野から飛び出し、京セラフィロソフィーをもって他業界へ挑戦されました。

それが日本の電話料金は高すぎるといって、挑戦した第二電電、KDDIの事業になります。

ただ、これも、周りからは巨大NTTに挑むのは、ドンキホーテのように見えたそうです。それだけ当時は、独占企業として君臨してきたNTTのパワーが圧倒的だったといいます。

稲盛さんは、参入の際には、半年間、本当に自分が得をしようと考えたり、不純な動機が混ざっていないか、常に考え続けたといいます。それが、「動機善なりや、私心なかりしか」という言葉です。

初めから、電話料金が高止まりしていることが日本全体の競争力や国民生活の負荷になっていることへの危機意識からの新規参入でしたが、ご自身の中に不純な動機がないかどうか、半年間ずっと自問自答し続けたといいます。

そして、初めて、「100%善である」と判断され参入を決められたそうです。
私たちも、常に、自分の言動に不純なものが混ざっていないか、厳しく見つめる姿勢が必要だと考えさせられます。

海外でも賞賛された「人生の方程式」 


もう一つ稲盛経営哲学で印象に残っているが、人生の方程式です。

人生・仕事の成果=考え方×熱意×能力

海外でこれを開陳したところ、非常に感銘を受けた方が多かったとのことです。

私たちは、成果を出すために、能力が足りない、努力が足りない…と嘆くことはよくありますが、考え方が足りない…と嘆くイメージは少ないですよね。

稲盛さん曰く、この方程式はもちろん掛け算であることがポイントであるとともに、考え方が一番最初にきているところがポイントだといいます。

つまり、考え方には+100〜ー100までバラツキがあり、考え方がマイナスであれば、いくら熱意や能力があっても意味がないということだそうです。考え方によっては、いくら熱意や能力があっても泥棒にもなりうるではないか…と。

この考え方を重視するところ、そして、上記に挙げたような人間の深い動機をも含めた経営上の成果でなければならないというところが経営を一般に多くの方が運用して成果を出すことができる哲学にまで昇華できた要因ではないかと感じます。

意識進化との共通点


意識進化は、例えていえば植物である私たちが、今、土の中にあり、この地上に出るために本能的知っている陽の光を求めて伸びていこうとするもの、そして、たとえ地上がアスファルトに覆われていても、貫通して芽を出すような営み…だと感じています。

稲盛経営哲学とは、最初の「自燃性の人であれ」はもちろん、「動機善なりや、私心なかりしか」、そして最後の人生の方程式における「考え方」のプラスマイナスで全てが決まってしまう点など、意識進化も全く同じ共通した要素があると感じます。

まず、意識進化は、人から言われて強制的、義務的にやるものではありません。
もう、本来の自分や真の自分、コアとなる意識とつながった(共鳴した)状態を思い出して仕方がない、自ずと自燃性の人でなければならないとなります。

また、その動機も、自分が得するからというこの人生を生きるにあたっての自我の働き=個人意識を超えて、個人も全体も一緒であるという全体意識から取り組む側面も共通しています。意識進化の取り組みも、稲盛哲学と同様、深い動機が大切で、単に個人の人生をよくすることがゴールであれば、残念ながら意識進化とは言えないでしょう。また、希少な情報を聞いて満足して終えるのも意識進化とは言えません。

稲盛方程式と同様、意識進化の成果・結果も、「全体意識の度合い×熱意×能力や個性の発揮」という感じがしています。
最初の「全体意識の度合い」がとても大切です。個人意識が悪いわけではないのですが、意識進化が個人の小我のレベルを超えた大我(真の自分、コアなる意識)の視点で生きよう、社会をよくしていこうとするものである以上、そういうことになります。

以上、あらためて、昭和の時代が生んだ日本の成長・発展を精神面でも支え続けてくださった偉大なる先達、稲盛和夫さんのご冥福をお祈り申し上げます。

上記のお話をしている動画はこちらです。

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